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石膏デッサンは自分に似るって話は写真にも通じるのかもしれない

こんにちはゴリ蔵です!

 

僕の職業はカメラマンです。

カメラマンになったいきさつは超つまんないので

ここには書きませんが、僕は美大を卒業しています。
写真を専攻していたので在学中にデッサンをする機会は少なかったのですが

大学に入るための浪人中、かなりの数を描いたと記憶しております。


石膏像デッサン

美大に行きたいというあまりにもざっくりした目的意識のなかで

高校を卒業し、浪人生活を送ることになるのですが

美大浪人のやることは

実技・学科

この2種類です。

僕はこの実技の中で「デッサン」が大嫌いでした。

もうほんとに嫌いで、いつまでたっても上達しなかったのです。

そんな僕も浪人生活の中で石膏像に出会うことになります。

なんだかすごく芸術の世界を感じさせるアイテムですよねー。

「石膏像のデッサン」

デッサンは嫌いですがいつもと違うモチーフにとても盛り上がっておりました。

3時間くらいかけて描く内容だったと思うのですが

へたくそなりにずーと描き込んでると

なんだか結構うまいんじゃないか?という錯覚に陥ります。

タイムアップを迎え、皆で壁に並べての講評が始まります。

僕の通っていた予備校の講評システムは

上下に3段の「上・中・下」

あとは人数に応じて左右にのびていく形で壁にかざられていくのですが

上手い順に並びなおされます。

上手い人が上段。

その中でも真中が一番うまいひと。

外側にいくにつれてどんどんランクが下がっていき。

次は中段の真中~……略

 

って感じで

相対評価の地獄絵図が壁に現れます。


いざご対面!

下段の一番端に追いやられた僕のデッサン。

みんなの作品と並べられて自分がどれだけへたくそなのかがわかったとき

その描かれている石膏像の顔が

「なんか自分ににてるな」

と感じました。

もうひとつ気づいたことはみんな同じ石膏像を描いているのに

並べられたデッサンの顔には差があります。

これはどういうことか??

人間は忘れる動物だということ。

これはこの授業で講師の方が説明してくれたこと。

ものを見て、それを紙に描く。

今回でいうと、石膏像をみて、紙に描く。

見て

描く

この間にわずかな時間が生じます。

人間はこのわずかな時間のに見たものを忘れてしまう為

記憶から情報を補うのだそうです。

顔に関していうと、情報として一番よく知っているのは

自分の顔ですね。

ほんとに不思議なのですが

あまりデッサンが上手でない方が描こうとすると

こういうことが起こるそうです。

この現象はデッサンがうまくなれば落ち着くとおっしゃっていましたが

僕のデッサンには在籍中、ずっと出現していました。

自分の顔が。


そしてカメラマンへ

その後美大に入り、卒業し

色々あってカメラマンになりました。

(省略しすぎですかね)

カメラマンということはいっぱい写真を撮ります。

当たり前です。
写真をたくさん撮るようになって気づいたことがありました。

 

写真には個性が写る。

 

と。

 

つまり、同じものを撮ったとしても

撮った人によって写り方が変わってくるということです。

写真は「借景」の要素もあり

写るもの があって初めて成立します。

なので写るものがおもしろければダイレクトに写真に影響します。

しかーし。

このブログにはカメラの使い方やしくみなど書いてますが

写真というのは

シャッターを押すという行為だけでは成り立ちません。 

どんな焦点距離で(何mmくらい)

どれくらい寄るかひくか

どんなトリミングで

どんなアングルで

どんな露出で(シャッター、絞り、感度)

そんなことを考えて選択に選択を重ねて

絵が決定されます。

そのほかにも

ピントをどこでとるかとか

被写体が人間だった場合はその人と

上記の選択行為をしている時間を共有しているわけなので

楽しかったりつまらなかったりの感情も被写体の表情になって可視化されます。

 

つまり、写真って結構色んな写り方をするんです。

これはそのまま個性になります。

同じものをとっても現れるこの個性。
なんだかデッサンに似てないですか!?

 

さすがに花を撮って、撮った人に似るなんてことは

ないと思いますが

「誰が撮ったっぽい」みたいなことになることがあるんです。

この個性が強いことに僕はあこがれます。

写真の話ですよ。

 

例えばですが

観光地に行くと

「シャッターおしていただけませんか?」

という定番のお願いがあります。

僕がカメラマンだからではなく

誰だってあることです。

顔面タトゥーだらけとかじゃなければ。

 

なんでお願いするかというと

自分も写りたいから。です。たぶん。

撮った人が写真に入らないからじゃーん。

ってことですよね。

 

ここで一つ僕の意見があります。

もしあなたが写真を撮ったことで

写真に入らなかったとしても

そこにあなたは写っているのです。

物理的に可視化はされていないものの

写真の中の人たちはあなたを見ているのであり

その時間が写っているのです。

僕はそう考えています。

写真には時間が写っています。

自分の幼い時の写真を見て考えていただきたいです。

『これは誰がどんな気持ちで撮ったのか』

撮った人も、その時、世界にいた一人です。

写真をこういう見方をするとまた何か

今までとは違うような見え方がしてくるんじゃないかなと思います。


難しい写真とは

花・空・ニューヨーク笑

 

本気半分

冗談半分ですが

ここまで書いてきた『個性』を出すのが難しいとされる被写体ですね。

主観ですが。

誰が撮ってもそれなりにきれいだったりかっこよかったり。

こういった被写体で個性的な写真が撮れるというのは

すごく重要な写真力です。


写真には自分がうつる

 

長々とここまで読んで頂きありがとうございます。

まとめると

写真には自分が写るんだってことです。
(物理的な意味じゃなく)

 

いっぱい写真とってくださいねー!